ライフリンクは、自殺で親を亡くした子どもたち(自死遺児)の
活動を受け継ぐカタチで発足しました。
子どもたちが自殺に対する偏見に怯えながらも、
自らの胸の内を語ることで
「自殺についてもっと真剣に考えて欲しい」と社会に呼びかけた、
その勇気に心動かされた大人たちが発起人となっています。
彼らが チカラを振り絞って投げてくれた「球」を、
大人としてどう受け止めていくのか−。
私たちの出した答えが、ライフリンクでした。
年月 |
社会的な動き・自死遺族の活動・政府の動き・発起人の活動 |
1998年 |
自殺者数がはじめて3万人を超える。(97年の24391人から32863人へと急増。) |
2000年 |
3年連続して自殺者数が3万人を超える。(自死遺児は全国に推計9万人。) |
2月 |
西田が「あしなが育英会」職員として「第一回自死遺児ミーティング」に参加。全国ではじめて自死遺児の存在に着目し、子どもたちの「こころのケア」に乗り出す。 |
4月 |
自死遺児たちが小冊子『自殺って言えない(「あしなが育英会」編)』を発行する。社会に対して自死遺族としてのつらい胸の内をはじめて明かす。 |
8月 |
清水がNHKディレクターとして自死遺児の取材を始める。 |
2001年 |
4年連続して自殺者が3万人を超える。 |
7月 |
西田が「自死遺児の心の傷とケアを考えるシンポジウム」を企画し、全国での実施に乗り出す。 |
10月 |
清水がNHKクローズアップ現代『お父さん死なないで〜親の自殺
遺された子どもたち〜』を制作。全国に放送される。それまで匿名で活動していた自死遺児が、この番組ではじめて社会に対して顔と名前を公表し肉声で思いを語る。 |
12月 |
7人の自死遺児が、顔と名前をさらけ出して小泉首相に陳情する。「自殺対策の必要性」を訴え、その模様がテレビや新聞などで報道される。 |
清水が制作に関わったNHKクローズアップ現代・年末スペシャル『“痛み”を見つめて』が放送される。10
月に放送された番組にも出演した久保井康典さんが生出演し、『お父さん死なないで』の反響やこれからの抱負について語る。 |
2002年 |
5年連続して自殺者が3万人を超える。 |
2月 |
厚生労働省が「自殺防止対策有識者懇談会」を発足させる。 |
4月 |
鈴木がサンマーク出版の編集者として自死遺児の取材を始める。 |
11月 |
鈴木が企画・編集した『自殺って言えなかった。』(サンマーク出版)が刊行される。小学生から大学生まで、18人の自死遺児たちが思いをつづったはじめての手記集となる。 |
清水が制作したNHKおはよう日本・特集『 支え合う“自死遺児”たち』が放送される。自死遺児たちが、手記集『自殺って言えなかった。』に込めた思いをドキュメントで伝える。 |
国会の代表質問(鳩山由紀夫民主党代表・当時による)などで、『自殺って言えなかった。』(サンマーク出版)や、おはよう日本『支え合う“自死遺児“たち』のことが取り上げられる。 |
12月 |
「自殺防止対策有識者懇談会」が解散する。(7回の会合を経て「報告書」がまとめられる。) |
『自殺って言えなかった。』が6万部(8刷)を突破する。 |
2003年 |
自殺者数が34427人と過去最悪を記録。6年連続して「3万人」を超える。 |
2004年5月 |
清水、西田、鈴木が集まって「ライフリンク設立準備会」を開く。これまでの「うつ対策」中心の自殺対策に限界を感じ、「新しいつながりによる新しい解決力」の必要性を確認する。 |
10月15日 |
NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」が正式に発足する。 |