2006/11/14・朝日新聞朝刊「視点」
◆自殺対策 命に「再チャレンジ」なし
NPO法人 ライフリンク 代表 清水康之
朝日新聞 「こんなだめ息子でごめん いじめられてもういきていけない」
 いじめを苦に自殺で亡くなった福岡の少年の遺書にはそう綴られていたという。13歳の 子どもが自ら、しかも謝りながら命を絶たなければならなかった現実は、実は大人社会の 映し鏡。大人たちの自殺と根は同じだ。
 「ダメな父親でごめん」「仕事のできない部下で申し訳ありませんでした」など。大人た ちもまた、社会的に弱い立場にいる人たちが、過労やパワハラ、多重債務や介護疲れとい った社会的要因によって、日々自殺へと追い込まれている。
 一日90人、年間3万人。こうした自殺の現実は、日本社会の「命のあり方・扱われ方」の 象徴と受け止めるべきなのだろう。
 自殺に追い込まれる人のいない「生き心地の良い社会」を目指そうと、自殺者遺族の声 が大きく後押しする形で、自殺対策に関する初めての法律(議員立法)が先月28日に施行 された。
 自殺対策基本法。自殺を社会的な問題として位置づけ、官民一体となって総合的な対策 に乗り出すための根拠法である。
 日本の自殺率は、米国の2倍、英国の3倍と、先進国の中で群を抜いて高い。自殺は 「避けられる死」だと世界的には言われながら、社会的な対策が立ち遅れてきた日本では、 自殺率が高止まりを続けているのだ。
 そうしたこれまでの反省も踏まえて、基本法では、自殺対策の実施を国や自治体の責務 とし、自殺に追い込まれていく個人だけでなく、人を自殺に追い込む社会をも対象とした 総合対策を実施するとしている。
 関係者同士の連携の重要性、自殺未遂者や自殺者遺族への支援の必要性なども謳われて おり、なるほどその内容は高く評価できる。
 死に追い詰められていく命を社会全体で支えていくための「足場」が、これでできたこ とになるわけだ。
 しかし、今後対策を実施していく上での懸念もある。どれだけ「アクションリサーチ (実務重視で対策を進めながら、並行して研究を行い、その成果を適宜実務に還元させて いくこと)」を徹底させることができるかということだ。
 自殺対策では、研究よりも実務の方が先進的な取り組みをしており、現場での活動を通 して効果的な対策も分かってきている。
 それでも、例えば政府の自殺対策予算は、交通安全対策予算の千分の1以下で、なおか つそのほとんどが調査研究費に充てられている。実務は、相変わらず手弁当のボランティア 任せのままである。自殺総合対策は、社会の「つながり」作りでもある。研究偏重で進めて きたこれまでの反省を踏まえ、実務重視へと舵を切るべきだ。
 この瞬間にも、自殺に追い込まれている人がいることを、私たちは忘れてはなるまい。 自転車操業を覚悟の上で、自殺対策のアクションリサーチを徹底させていけるかどうか。 命に再チャレンジはない。いま決断が求められている。